おんまとは?

なぜ"おんま"と言うのか

  大桑の名前は、桑の巨木の存在を由来としている。その名前が最初に著われるのは「和名類聚抄」で平安初期には、すでに大桑の名前があったことは前述のとおりである。古くから大桑と記し「おんま」と呼ぶことが多い、特に近隣ではそれで通用するのである。また町内では、それが普通である。では、なぜ「おんま」と言うのか調べることにした。

  郷土の歴史書には、1件のみ「おんま」と記載されているが解説はなく単に、大桑の別名とだけとしている。(角川日本地名大辞典)その他のものには、大桑と記し「おほくわ」や「おほぐわ」とふりがなを付してあるものの、これは旧字体のふりがなでこれらが発音上「おんま」へと変化したことには、無理がある。

  一方、地質学上大桑層を「おんまそう」と公式に命名しているのが唯一である。これについて学術資料を調べると、命名の由来として、古来土地の人たちが「おんま」と呼んでいたので「おんまそう」としたとしている。これが、昭和5年に望月勝海氏が学会へ発表したのが最初である。

  以上のことから、「おんま」の由来は判明せず、町内の方々や近隣の人たちに話しを聞き調べたところ次のような言い伝えがあったので紹介しておこう。


 

[ 藩政時代、殿様や上級武士が大桑上野山へ狩猟に行く時や野田山に墓参する場合、当時寺町台地の道路が未整備のため、大桑村の西の丘陵にある坂道を迂回して通った。この坂を小坂(おざか)と言い、やはり険しい坂であったため坂の下に馬を止めたことから、その地を「御馬 おんま」と呼ぶようになったと伝えられている。また、馬を一時的に放し飼した場所を「うまはなし」と言い、これが後に略されて「うまなし」の地籍として最近まで使用されていた。

  小坂は、現在の大桑保育所取付道路と市営駐車場の間に野田町への、昔の通路としてその一部が残っている。 ]

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