あとがき

従来から、大桑の成り立ちは平安時代と聞いていたが、伝説と思われるものを含めると優に500年以上遡り大和時代までのものとなった。

そこで今回は、明治初期までとし「大桑の生い立ち」及び「桑の古木について」等に分けて取りまとめた。しかし全てが判明した訳ではなく一部であり、今後の参考になれば幸いである。

これらの中で、今まで知らなかった次のようなことが分かった。

①21代天皇雄略帝時代(在位456~479)まで遡ったこと。
②神社は、泰澄大師(682~767)が開山したこと。
③大桑三郎利光が日吉大社から分社した、二祭神を合祀し三体となったこと。
④古来、大桑の集落は、犀川の対岸にあったこと。
⑤桑の木があった場所が、ほぼ特定できたこと。
⑥大正6年の桑の根の写真を発見できたこと。

雄略帝時代からの歴史があり、先人達はどこから来たのか郷土歴史書には記載はない。しかし、確認は出来なかったものの次のような伝承がある。

「 京の都あるいは奈良、大和から落武者達が戦いに追われ、日本海沿いまたは白山々系山脈の渓流沿いを辿り逃げ延びて住み着いた 」としている。

また、郷土歴史書の中で類似して登場する、他県の「大桑」と言う地名として長野県木曽郡大桑村や愛知県東加茂郡下山村大桑村及び岐阜県山県郡大桑村等がある。さらに、過去に存在したが今はない富山県婦負郡八尾町乗嶺村の大桑郷、愛知県江南市の大桑郷、及び同北設楽郡設楽町大桑村等があった。

私達の先祖は、これらの地の人達と関わりがあるのだろうか、また地名の所以として大きな桑の木があったのか興味のあるところだ。


平成19年に植樹した桑の後継木

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