桑の古木について

現在、桑の巨木日本一は群馬県沼田市にある「薄根の大桑」と言われている。樹齢1500年、幹周5.3m、直径1.7m、樹高が13.7mの山桑である。桑の特徴は、枝が伸びるに従い地面に接した部分から旺盛に根を下ろし、枝が張る樹勢の強い樹木である。低木は養蚕に適しているものの現在では衰退し桑の木自体を見ることができなくなった。

大桑日吉神社に保存されていた、桑の根も境内の一坪の社に近年まで保存されていた。しかし、長年の風雨により往時の大きさから、現在は抱えられるほどの大きさになり、今は大切に本殿に安置されている。

現存する桑の根

この桑の根について「郷土歴史書」と「大桑地名誌」を参考に記してみたい。ただし、測定値に関することについては原文のとおりものを記す、これは江戸時代以前は「度量衡」の値が変遷しているためである。おおよそは群馬県沼田市の「薄根の大桑」を想像していただきたい。

 

どこにあったのか

「大桑地名誌」によると、大昔、加賀国の犀川西側の山ふところあたりの貝殻渕に高さ数十丈の桑の老木があった。幹枝が茂り百畝に亙っていたとしている。

また、古代中国前漢時代の小説「神異経」の桑の木の事例を引用している。

貝殻渕の場所は、文久元年(1861)に作成された「犀川々筋図」によると犀川右岸の鱒川渕と穴渕とのほぼ中間地点で対岸側である。これを地形図上で計算すると、現在の集落から南側で上川原への農道の出戸付近に相当する。往古はもちろん堤防もなく、一面が荒地と河原と境のなかった場所と思われ、しかも、その場所は現在の河川敷あたりと考えられる。

犀川川筋図

前述したように、平安時代この地に行幸した花山法皇の目的は、この桑の大木であったのかも知れない。

 

木の大きさ

桑の木の大きさについては、前文のように高さが数十丈で幹枝が茂り百畝に亙っていたとされる、一方三里に亙るとも伝えている。その真偽のほどは不明である。木の大きさを記載するための記録や資料に乏しいのである。

明治の始めに犀川から、根の一部を掘り出し、後に日吉神社に奉納されたものを、一坪の社に近年まで納められていたのを見ている人たちとっては、その大きさが思い出せると思う。なお、大正6年(1917)の「石川縣物産陳列館縦覧記念」誌として、今の博覧会のパンフレットであるが、これに写真と解説が掲載されているのが唯一であろう。

現在日本一の、群馬県沼田市の「薄根の大桑」以上だったのかもしれない。

 

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